長崎南蛮余情 - 大谷利彦

長崎南蛮余情 大谷利彦

Add: oxinuh78 - Date: 2020-12-17 15:35:10 - Views: 8431 - Clicks: 711

世界文学史物語 フォーマット: 図書 責任表示: ジョン・メーシィ〔著〕 ; 大谷利彦訳 言語: 日本語 出版情報: 東京 : 角川書店, 1973 この小説も面白さは、何と言ってもエンディングで明かされる「2つのサプライズ」にありますので、ここではあらすじを簡単にご紹介するだけにしたいと思います。 物語の時代設定については明確には記されていません。ただ「さんた・るちあ」という教会において日常的にミサが行われており、キリシタンが取り締まられているような雰囲気もありませんので、キリシタンへの厳しい迫害がはじまる以前だと考えられます。新名規明(にいなのりあき)氏は『芥川龍之介の長崎』の中で、長崎が「日本の小ローマ」といわれ、キリシタンが栄えていた文禄慶長の頃(1592年以後)の話ではないか、と想定しています。 主な登場人物は日本人の美少年「ろおれんぞ」と、元武士のイルマン(司祭の補佐をする修士)「しめおん」。しめおんは、ろおれんぞを弟のように可愛がっていましたが、信仰深いと思っていたろおれんぞが、町の傘張りの娘を身ごもらせたことを知り、怒りのあまり殴り倒します。ろおれんぞは教会から破門され、町外れで浮浪者のような生活をすることに。それから1年経ったある日の夜、長崎の町は大火事になり、傘張り娘の家も火に包まれました。駆けつけたしめおんが、火の中に1人残された子どもを助けようと試みますが、火が激しくてどうにもなりません。誰もが諦めかけたその時、ろおれんぞが現れて、まっしぐらに火の中へ飛び込んでいきました. 12 形態: 362p : 図,肖像 ; 19cm. 」と答えたといいます。展示されていたのか、販売されていたのかは定かではありませんが、とにかく黙って持ち出したのです。芥川は、生涯このマリア観音を書斎に飾って大事にしていました。自宅を訪れた友人に「シッケイしてきたんだよ」と自慢げに見せたこともあったそうです。.

大谷利彦 著、長崎文献社、昭63. 新村出「賀留多の. ジャンル: 長崎・九州 書籍名: 歴史手帖 1983年12月 特集:近世の長崎と異国人 秀吉・家康政権と長崎 長崎奉行とその役割 長崎の町年寄と町乙名 長崎と蘭学 唐人屋敷と唐人 長崎と南蛮屏風 長崎歳時記 長崎における中国文化 近世長崎地方史研究刊行書目録 ほか. 〒長崎県長崎市鍛冶屋町 3-12 TEL:FAX:長崎県公安委員会許可50公(長)第4号. ジョン・メーシィ 著 ; 大谷利彦訳. 永見徳太郎の生涯は、大谷利彦『長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯』、長崎文献社、昭和六十三年。同『続長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯』、長崎文献社、平成二年に詳しい。. 7-1990 正 長崎南蛮余情 - 大谷利彦 続.

長崎を舞台にした『奉教人の死』ですが、この小説が書かれた時点では、芥川はまだ長崎に1度も来たことはありませんでした。初来崎は『奉教人の死』を三田文学に発表した翌年、大正8年(1919)5月のことです。この年は芥川にとって「変革」の年でした。というのは、東京帝国大学の英文科を卒業して以来、「海軍機関学校教官」と「作家」の2足のわらじを履いていた芥川が、小説1本で生きて行いくことを選択した年だからです。大阪毎日新聞社に出勤の義務を負わない社員として就職。給料をもらいながら、年に何本かの小説を書く新聞社専属の作家となりました。この時、芥川と一緒に入社した作家がもう1人います。友人の菊池寛です。「真珠夫人」などの作品でも知られる作家ですが、大正12年(1923)に「文藝春秋」を創刊して、芥川の死後「芥川賞」を創設した人物でもあります。芥川は、菊池と一緒に初めて長崎を旅行しました。菊池はこの旅行を「長崎を見たかったのでもなければ、何をするという目的は少しもなかった」と言っていますから、恐らくは「切支丹」に興味を抱いていた芥川が、憧れの長崎旅行に菊池を誘った、ということだったのでしょう。 宿泊先は銅座町にある「永見徳太郎」の邸宅。永見家は長崎の御朱印貿易にも関わっていた江戸時代から続く名家で、永見は当時、倉庫業を営んでいました。芸術に造詣(ぞうけい)が深かった永見は、長崎を訪れる文化人たちを宿泊させたり、ご馳走したりともてなしていた長崎随一の文化人です。1週間ほどの滞在でしたが、芥川にとって大きな出会いがありました。その人物とは、長崎県立病院の精神科部長をしていた斎藤茂吉です。茂吉の第一詩集『赤光』を愛読していた芥川は、勤務先の病院まで茂吉を訪ねて行きました。この時は、茂吉が仕事中であまり話せなかったようですが、こののち親交は生涯にわたって続きました。. 2809 大谷利彦著 長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯 長崎文献社 1988 3,モダンアート客話 大原總一郎と京都の五人 大原. 長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯 続/大谷 利彦(エッセイ・自伝・ノンフィクション)の最新情報・紙の本の購入はhontoで。あらすじ、レビュー(感想)、書評、発売日情報など充実。書店で使えるhontoポイントも貯まる。. 奥田啓市。明治16年福岡県生まれ、41年早大英文学科卒。大正4年日比谷図書館から長崎図書館へ転進、同10年2月から昭和19年4月まで鹿児島県立図書館長。確認できないが、戦後再び日比谷図書館に勤めたという。奥田が長崎図書館の司書だったときの話が、大谷利彦『長崎南蛮余情 永見徳太郎の. 長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯 正続2冊 大谷利彦 昭63 長崎文献社; 長崎外国人居留地の研究 菱谷武平 1988 九州大学出版会; 長崎異国風土記 神代祇彦 昭41 増補訂正 幕府時代の長崎 長崎市役所編 昭48 名著出版.

文献社、1988年)、大谷利彦『長崎南蛮余情 続永見徳太郎の生涯』(長崎文献社、1990年) がある。別途、長崎華商の分析として、山 岡由佳『長崎華商経営の史的研究-近代中 国商人の経営と帳簿-』(ミネルヴァ書房、 1995年)、朱徳蘭『長崎華商貿易の. 【tsutaya オンラインショッピング】長崎南蛮余情/大谷利彦 tポイントが使える・貯まるtsutaya/ツタヤの通販サイト!本・漫画. 2冊揃 長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯 続長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯 大谷利彦 著 長崎文献社(ヤフオク! )は1件の入札を集めて、/05/03 21:19に落札されました。. 徳太郎は長崎きっての富豪で文人だったが晩年東京に移住して今もって以後の行方が不明 その永見についての評伝正・続二巻の『長崎南蛮余情』がある 著者は大谷利彦 その中で芥川龍之介と師弟関係のあった蒲原春夫が歌川龍平の名で 『長崎郷土物語. 長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯: 大谷 利彦: 長崎文献社: 1988: 219. 大谷利彦 1988『長崎南蛮余情 ― 永見徳太郎の生涯』長崎文献社; 大谷利彦 1990『長崎南蛮余情 続 ― 永見徳太郎の生涯』長崎文献社; 下川耿史 1995『日本エロ写真史』青弓社; 志村有弘 『のたれ死にでもよいではないか』新典社.

10: 長崎南蛮余情 : 永見徳太郎の生涯: 大谷利彦 著: 長崎文献社: 1988. 中西啓,越中勇,原田博二,片岡瑠美子,大谷利彦,上杉千郷,宮川雅一,竹本定男,山口青史,武藤為一 辻憲治 向井十郎 帯谷重則『長崎文化 第54号 特集:続 長崎の女たち・男たち』の感想・レビュー一覧です。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。読書メーターに. 長崎南蛮余情 : 永見徳太郎の生涯: 大谷利彦 著: 長崎文献社: 1990. Amazonで大谷 利彦の長崎南蛮余情―永見徳太郎の生涯。アマゾンならポイント還元本が多数。大谷 利彦作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. 3年後の大正年5月にも来崎、この時は約1カ月間滞在した。芥川の長崎で の行動については、『長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯』大谷利彦著(1988年 長崎文 献社)に詳しく紹介されている。 。(大正11年の、芥川の芳名録記帳はない). 1990年初版発行、長崎文献社 定価7500円、正誤表付 状態は、経年並(本体に薄シミなどあり)です。. 書名: 長崎南蛮余情 : 永見徳太郎の生涯: 著作者等: 大谷 利彦: 書名ヨミ: ナガサキ ナンバン ヨジョウ: 書名別名: Nagasaki nanban yojo.

大谷利彦氏の「長崎南蛮余情」には帰京に関して下記のように書かれています。 「. 書名: 長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯: 著者名: 大谷利彦 著: 書名よみ: ナガサキ ナンバン ヨジョウ: 著者名よみ. ・芥川龍之介の長崎:新名規明、長崎文献社 ・長崎南蛮余情、続長崎南蛮余情:大谷利彦、長崎文献社 ・甘味:双雅房 ・食いしん坊:小島政二郎、河出文庫 ・下谷生れ:小島政二郎、上野のれん会 ・古老がつづる台東区の明治・大正・昭和Ⅰ:台東区. 長崎南蛮余情 : 永見徳太郎の生涯 大谷利彦 著. 角川書店 1973. See full list on city. 長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯 続/大谷 利彦(エッセイ・自伝・ノンフィクション)の最新情報・紙の本の購入はhontoで。あらすじ、レビュー(感想)、書評、発売日情報など充実。書店で使えるhontoポイントも貯まる。国内送料無料で、最速24時間以内出荷。. 長崎南蛮余情 正続2揃 大谷利彦 昭63 長崎市民讀本 長崎市教育会 昭6 明治の東京(覆刻) 馬場孤蝶 昭49 中國小説史略 魯迅 1937 7つの習慣 成功には原則があった! スティーブン・r・コヴィー 1997 歴史を忘れた日本人 繁栄の行きつく先 村上兵衛 1987.

大谷 利彦『長崎南蛮余情 続―永見徳太郎の生涯 2巻』の感想・レビュー一覧です。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。読書メーターに投稿された約0件 の感想・レビューで本の評判を確認、読書記録を管理することもできます。. 7: 啄木の西洋と日本: 大谷利彦 著: 研究社: 1974: 世界文学史物語: ジョン・メーシィ 著 ; 大谷利彦 訳: 角川書店: 1973: ジーキル. タイトル: 長崎南蛮余情 : 永見徳太郎の生涯: 著者: 大谷利彦. 長崎南蛮余情 : 永見徳太郎の生涯 フォーマット: 図書 責任表示: 大谷利彦著 言語: 日本語 出版情報: 長崎 : 長崎文献社, 1988. 3: 長崎のべっ甲. 去(い)んぬる頃、日本長崎の「さんた・るちあ」と申す「えれけしあ」(寺院)に、「ろおれんぞ」と申すこの国の少年がござった。 芥川龍之介が大正7年(1918)に発表した『奉教人の死』は、こういう書き出しで始まります。「奉教人」とは聞き慣れない言葉ですが、近世の日本では「キリスト教の信者」をこう呼んでいました。したがって、題名を現在の言葉に言い換えると「キリスト教徒の死」になります。タイトルからも分かる通り、キリスト教に関する内容を持った作品ですが、実は芥川は同じテーマをたくさん書いており、研究者の間では「切支丹物」と呼ばれ芥川研究の対象になっています。曺紗玉(チョサオク)の著作『芥川龍之介とキリスト教』によると、166編ある芥川の発表作品のうち、1割強が切支丹物というのですから驚きです。クリスチャンではない芥川が、どうしてこれほど切支丹物を書いたのか、芥川本人は『ある鞭』の中でキリスト教を次のように述べています。 「僕は年少の時、硝子画の窓や振り香炉やコンタスのために基督(キリスト)教を愛した。その後僕の心を捉えたものは聖人や福者の伝記だった。僕は彼らの捨命の事蹟に心理的或いは戯曲的興味を感じ、その為に又基督教を愛した。即ち僕は基督教を愛しながら、基督教的信仰には徹頭徹尾冷淡だった。いつも基督教の芸術的荘厳を道具にしていた。即ち僕は基督教を軽んずる為に返って基督教を愛したのだった」『ある鞭』から抜粋 芥川は、少年時代からキリスト教に興味を持っていました。ステンドグラスやコンタス(ロザリオ)がかもし出す「エキゾチック」な雰囲気に魅せられていたようです。「その後」というのは恐らく高校生くらいだと思われますが、この頃から聖人や福者の伝記の中で語られる「殉教」に興味の対象が移っていったようです。しかしながら、その興味はあくまで聖書の持つ「物語性」であり、キリスト教の本質である「信仰」に対しては距離を持って「徹頭徹尾冷淡」に接したとも述べています。ところが、冷淡であればあるほど「返って基督教を愛した」ともあり、キリスト教に対して複雑な感情を持っていたことが伺えます。では、そんな芥川が書いた『奉教人の死』はどのような物語だったのでしょうか。. 続 長崎南蛮余情 永見徳太郎の生涯:本・コミックのネット通販ならセブンネットショッピング。セブン‐イレブン店舗受取りなら送料無料&24時間受取れる。nanacoポイントも貯まって使える便利でお得なショッピングサイトです。.

7-1990 形態: 2冊; 22cm 著者名: 大谷, 利彦(1919-) 書誌id: bnisbn:正続). 啄木の西洋と日本 資料種別: 図書 責任表示: 大谷利彦著 言語: 日本語 出版情報: 東京 : 研究社出版, 1974. (11/15時点 - 商品価格ナビ)【製品詳細:書名カナ:ナガサキ ナンバン ヨジョウ ナガミ トクタロウ ノ ショウガイ|著者名:大谷利彦|著者名カナ:オオタニ,トシヒコ|発行者:長崎文献社|発行者カナ:ナガサキブンケンシヤ|ページ数:423p|サイズ. 3: 長崎のキリシタン学校 セミナリヨ・コレジョの跡を訪ねて: 長崎県教育委員会 編: 長崎県教育委員会: 1987: 219. 長崎南蛮余情 : 永見徳太郎の生涯 大谷利彦著 長崎文献社, 1988. 長崎南蛮余情 : 永見徳太郎の生涯 続 大谷利彦 著. 7、423p、A5 天少ヤケ カバー少痛 ISBN:登録書籍は店頭にはございません。.

。この後、思いもしない結末が待ち受けています。 この作品は、物語が書かれた「1の章」と、あとがきが書かれた「2の章」で構成されています。2の章によると、この物語は長崎耶蘇会が出版した「れげんだ・おうれあ」下巻第2章に書かれた実話を、多少の文飾を加えて発表した作品であると芥川が自ら解説しています。当然、読者は史実として驚きながら読み入ったことでしょう。「れげんだ・おうれあ」を譲ってほしいと芥川のところへ現金が入った手紙が届いたというエピソードも残っています。ところが実際は、芥川が創作した架空の本であり「れげんだ・おうれあ」などという書物は存在しません。まことしやかに書かれている「あとがき」も物語の一部だったのです。. 七月二十五日の『長崎民友新聞』は、「芥川龍之介の横顔」として、河童屏風の写真入りで渡辺庫輔の文章を掲載した。. 10 角川文庫 2930.

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